ハンカチーフについて ハンカチーフについて
ハンカチーフの歴史
私たちがいつごろからハンカチを使うようになったかは、定かではありませんが、紀元前 3000 年頃、エジプトのダシュール王女の墓から麻の端切れが発見され、それが手をふいたり、汗をふいたりするための布がハンカチーフの始まりであったと考えられています。
紀元前 1000頃の中国の周時代の彫像には、まわりをフリンジで縁取られた布切れを提げている姿が見られます。
紀元前 700年頃、ペルシャでは、最高級の絹に刺繍飾りをほどこしたハンカチーフは高貴さの象徴として使われ、王族だけがもつことを許されていたようです。
また、史料によるとローマのアウレリウス皇帝が 166 年、ローマ市民に麻の小さいハンカチーフを皇帝の行為の印として分け与えたという記述もあります。ローマでは競技場などの観客が小さな旗のように “オラリアム” と呼ばれたハンカチーフをいっせいにふるという光景が見られたようです。
もくじ
イニシャルハンカチーフは愛の印
画像は PAOLO PERI 著『The Handkerchief』(Zanfi 社)p13 から引用
中世に入ると、ヨーロッパのあちらこちらで婚約のしるしとしての役割を担うように。
戦さにでかける騎士に “私のかわりにそばにおいて” と恋人が、自分のイニシャル入りのハンカチーフを贈るという話が多数残っています。
この時代には男性の持ち物とされていたハンカチーフは、女性や様々な階級の人々へ広がりました。
1540年頃にはポケットチーフがイタリアのベニスで誕生し、ヨーロッパ中に広まりました。
また 16 世紀になると、装飾性の高いニードルポイントレースやボビンレースのハンカチーフが登場しています。
宝石のようなレースのハンカチーフ
17世紀になると、ハンカチーフが愛の贈り物や小道具として本格的に用いられるようになります。恋人たちは舞踏会の中で人目を忍んで逢引の約束をするためにハンカチーフを使ったり、また愛の証として、自分のイニシャルや紋章入りのハンカチーフを贈りました。
画像は PAOLO PERI 著『The Handkerchief』(Zanfi 社)p10から引用
1枚のハンカチーフをめぐる悲劇、シェイクスピアの「オセロー」が 1682年に上演され、絶賛を浴び、フランスの剣士の活躍を描いたデュマの小説「三銃士」にも、貴婦人からの愛の贈り物としてのハンカチが登場しています。ハンカチーフがその人自身を表す重要なものだったことがわかります。
この頃、肌着や表着、襟飾り、袖飾りなど、レースの需要は高まり、貴族たちにとって、フランスのレースを身に着けることは、大変な価値のあるものとなりました。その高価なレースをふんだんに使ったハンカチーフはまさに布の宝石。エチケットとしてのハンカチーフとは使い分けられています。
1619 年のイギリスの詩人、リチャードウェストはこんな詩をかいています。
鼻水のでているお鼻をば、ソクラテスがしたように
帽子でふいてはならないよ、着物でふいてはならないよ
いつでも用意にもっている ハンカチーフでおふきなさい
ゆびでも袖でもいけません そんな子供は叱られます
子供たちは 300年も前から、ハンカチ持った?といわれつづけてきたのです。
マリー・アントワネット
フランス宮廷の婦人たちは当時たいへん高価な贅沢品であったレースのハンカチーフの美しさを競い合いました。当初はイタリアからの輸入に頼っていた高価なレースもフランスの国力増強のため、その技術が導入され、フランスの宮廷文化とともに大きく開花していきます。ルイ王朝のベリュ夫人が亡くなったとき、その目録には数え切れない服とともに 1500ダース、つまり1万8千枚のハンカチーフが記されていました。家柄はレースでわかるといまでいわれた宮廷人が、どれほどレースに浮き身をやつしたかが窺えます。
王妃マリー・アントワネットが、フランス宮廷のファッションリーダーとして君臨したのは、18世紀末。
彼女が円形等様々な形をしていたハンカチーフの中から、正方形を選んで国の内外に広めたといわれています。そのマリー・アントワネットの誕生日(11月2日)に一番近い祝日、11月3日文化の日を「ハンカチーフの日」としています。
1845年コロンビアン雑誌 アンナトンムプソン監修の保存版
19世紀頃からのファッションを見ると、長いドレスに帽子(ボンネット)、傘、手にハンカチーフを持っています。ハンカチーフの後に、扇子を持つことが流行したようです。
モードは引き続きレースに刺繍、フリル等でこの年代の装飾が施されています。ハンカチーフは主に、オールラウンドの刺繍やレースが主流でした。
スワトウの手刺繍ハンカチーフ
一方中国では、イタリアやベルギーの宣教師たちが宣教のために渡来し、貧しい汕頭地区を経済的に発展させるための産業としてヨーロッパ刺繍の技術を伝えました。それが、中国の装飾的な美意識と村の少女たちのこまやかな手を得て、スワトウ刺繍として大きな花を咲かせ、今に至っています。高価なスワトウハンカチーフは、まさに芸術品。緻密な美しさと洗練されたデザイン感覚は、無名の芸術家たちの究極の職人技といえます。
日本にハンカチーフが伝わる
コロンブスがアメリカ大陸を発見し、綿花が見出されてから、綿製品はヨーロッパ全体に広がりました。綿は麻よりも加工が簡単で、しかも安価。ファッション性が強くなったハンカチーフには絶好の素材となり、大衆に広く愛されるようになりました。世界各国に普及したハンカチーフは、その後それぞれの文化のもとに独自の発展を遂げたのです。やがて日本にも上陸し、それまで手ぬぐいをもっていた日本人がハンカチーフを持ちはじめました。
当社の初代社長、中西儀兵衛が 1879 年に欧米雑貨洋物商を創業。ハンカチーフの人気は翌年から上昇し、それ以来 140年余の間ハンカチーフのリーディングカンパニーとしての役割を担ってまいりました。
20世紀~現代のハンカチーフ
20 世紀はさまざまな国にそれぞれのハンカチーフ文化が花開いた時代です。スイス・フランス・ドイツ・イギリス・イタリア・チェコ・ベルギー・アメリカ・日本…20 世紀初頭のきちんとした女性にとって、レースや刺繍がほどこされ、香りづけされたハンカチーフは日常使いのアイテムとしてなくてはならないものでした。
その後、プレタポルテが登場し、ファッションが大衆化。染料の発達やプリント技術の進歩によって、美しい色と自由な柄表現を手に入れたハンカチーフは、まさに百花繚乱の様相を呈します。
世界的なイベントに合わせて記念ハンカチーフも多くつくられました。
日本では 1970年代からのライセンスブランドブームもあり、そのデザイン素材、サイズなどの多様性は他に類をみません。
生活スタイル、ギフト需要に合わせて、機能性に特化したハンカチーフやイニシャル刺繍ハンカチーフ等、様々な形を変え登場しています。
これからも一枚の布にこだわり、過去と未来、人と人とをつなぐハンカチーフが「夢一枚」となり、世界に広がっていくことを信じ邁進してまいります。